伊藤 智也 選手と歩む


生年月日1963816
出身三重県鈴鹿市
所属バイエル薬品株式会社

略歴

1982

人材派遣会社を設立、従業員200名の経営者に

1998

 多発性硬化症 発症

1999

 車椅子陸上競技を始める

2002

障害者スポーツの発展、育成の為のNPO法人ゴールドアスリーツ設立

2005

プロ車椅子ランナーへ転向

2008北京パラリンピックでは400m800mで金メダル
2012ロンドンパラリンピックで銀メダル3個を獲得して現役を引退
2017東京2020パラリンピックを目指して競技復帰
2019世界パラ陸上競技選手権では100m400m1500mT52)でメダル獲得

東京パラリンピック日本代表.本大会直前にクラス変更,T53で出場,予選敗退


1998年 多発性硬化症 発症

 鈴鹿中央総合病院入院時より関与

 当時の病棟薬剤師・看護師は現在当院のスタッフ

2006年 ますずがわ神経内科クリニック開院後,2-3か月おきに定期通院

2012年 ロンドンパラリンピックで選手生活を引退 

 200m T52 銀,400m T52 銀,800m T52 銀  

※ロンドンパラ直前に脊髄炎再発→リモートでサポート


魂のランナー 

54歳からの再挑戦

車いす陸上選手 伊藤智也 

最高のチームで再び目指す

世界の頂点パラリンピック北京大会で2つの金メダルを獲得

ロンドン大会でも3つの銀メダルに輝いた伊藤智也選手.

いったん競技生活から退いたが、5年間のブランクを経て、2017年夏に現役復帰を宣言.

20182月からはバイエルの社員として、2020年東京大会に向けて厳しいトレーニングを重ねている

バイエル公式サイト より


悲痛のクラス分けから3年 ”戻ってきた” 61歳の鉄人

3年前 東京大会は“まさかの事態”が

34歳の時に難病を発症,アテネ大会から4大会に出場,複数種目でメダル獲得.“車いすの鉄人”と呼ばれています。
しかし、3年前の東京パラリンピックで伊藤選手を思わぬ事態が襲いました。


競技直前のクラス分けで従来のクラスではなく、より障害が軽いクラスと判定

→東京大会は予選敗退大学生と小学生くらいの違い,パリパラの実績


伊藤選手は、当時を振り返って

「ことばにできなかった。つらいとか悔しいとか苦しいとか。完全にメンタルが壊れたし、地獄の3年間だった」

「諦めようか」 そんな心境になったこともあったといいます。

とにかく支えてくれた人たちが「諦めなかった」と、周囲の支えで伊藤選手は、再びパラリンピックの舞台を目指すようになりました。

NHK スポーツニュースより

パラリンピックのクラス分けについて

  • 障がい者スポーツでよく耳にするものに、「クラス分け=クラシフィケーション」があります。

  • ひとくちに「障がい」と言っても、腕や脚などの身体、または視覚や知的発達など、障がいのある部位や種類はさまざまです。また、同じ障がいでも、その程度は人それぞれ異なります。

  • 「クラス分け」は個々の障がいが競技に及ぼす影響をできるだけ小さくし、平等に競い合うために必要な制度です。陸上競技でも障がいごとにクラスを細かく分け、競技を行っています。

T52

肩関節、肘関節、手関節の機能は、正常もしくはほぼ正常。指の曲げ伸ばしに制限。自力で座位バランスを保つことが出来ない。(C7/8 頚髄損傷レベル)

T53

両上肢の機能は、正常もしくはほぼ正常。腹筋と下部背筋の機能がなく、自力で座位を保つことが出来ない。(T1~T7 脊髄損傷レベル)


クラス間の運動機能の大きな違い

→トップ選手でも予選通過絶対不可能

25年以上伊藤選手をサポート

東京大会直前,より軽い「T53」変更,予選敗退.

このクラス判定は「確定」,異議申立不能

このままでは伊藤選手のパリ大会出場は絶望的

だが、伊藤選手はそれでも折れずに練習を継続

「伊藤さんのクラスは明らかにT52で,T53の判定ばあまりにも不合理」

ただ、正面から国際パラリンピック委員会(IPC)に抗議しても覆る見込みは無い


では、どうするか

一つ,細い希望の糸があった

2023年9月MS/NMOSDの診断ガイドラインが更新されたこと

新たなガイドラインで改めて判断すると,伊藤選手はMSとは別の病気「NMOSD」に診断が変わった

病名の変更を受けて,IPCに判定のやり直しを求め,認められた.

今回,「指導者」の枠で功労者顕彰を受けた


•「人生の全てを懸けているパラリンピック出場が閉ざされても、なお競技を続け、タイムを上げた。常人には全くできないこと」と伊藤選手の並外れた精神力と努力をたたえ、「本人とチームのお手伝いを少しでもできてうれしい」と喜んだ。

伊藤選手より

この歳まで走れております事にこんなに感謝している今が来るとは思いませんでした。

大きな夢を見させてくれるこの競技をもう少し頑張って続けていきます。